東京高等裁判所 昭和37年(う)1532号 判決
被告人 老田峰生
〔抄 録〕
窃盗罪が成立するためには、不法領得の意思をもつて、他人の支配内に在る財物を事実上自己の支配内に移すことを要するものと解すべきであるところ、被告人の司法警察員及び検察官に対する各供述調書並びに被告人の当公廷における供述及び本件自動車の管理者である当審の証人岩元孝雄の証言を総合すれば被告人は原判示日時頃、深夜、酒に酔つて帰宅の途中自宅附近まで来たところその辺に扉に旋錠もしていない本件軽三輪自動車(ダイハツミゼツト)が駐車しているのを見て余り酔つて帰宅して一人で留守をしている母親に心配を掛けることをおそれていた被告人は、これに乗り込み、その運転手席に座つて酔をさますうち、いたずら半分にギヤーをさわつていたところ、たまたま右自動車が坂の途中に下り方向を向いて置いてあり、且つギヤーがニユートラルに入つたため、自然に動き出し、五六十米の距離を下り、右坂を下り切つたところで左折したところ自然に停車したこと、右自動車はエンジンキー及びバツテリーが取り外されており、サイドブレーキをゆるめ、ギヤーを外せば、右自動車が自然に坂の下に向けて転がつて行くことはあつても、バツテリーを取り付けた上エンジンキーを入れなければ、エンジンが始動しない状況にあつたことが認められる。然らば、被告人が前記のように本件自動車に乗つて原判示場所において下り坂を五、六十米の距離を下つた所為については、不法領得の意思があつたとも認められず、また他人の支配内に在る財物を事実上自己の支配内に移した事実も認められない。そして、記録を精査し、且つ当審の事実取調の結果を検討しても右認定を左右するに足る証拠は見当らないから、被告人の右所為を窃盗罪に問擬した原判決の事実認定には、判決に影響を及ぼすことの明らかな事実誤認の疑があるものというべく、原判決はこの点において破棄を免れない。
(加納 河本 清水)